私が考えるマタニティマーク問題

マタニティマークとは「自分は妊娠していますよ」という事実を社会的に広く知らしめることで社会的配慮を訴えかけるものであると解してよいでしょう。
妊娠している女性は無条件に社会から気遣いやいたわりを受ける、ある種の権利があると思われます。他方でマタニティマークを使用する側も、またマタニティマークに配慮する側にも、マタニティマークの“ルール”というものを遵守する必要があると思うのです。

具体的に言えば、マタニティマークをつけた妊婦を見かけたら、見て見ぬふりをするのではなく、今ある状況で自分が妊婦にしてあげられる事を考えて、それを恥ずかしがらずに実行する勇気が必要になると思います。
公衆の面前で、自分から進んで妊婦に席を譲るという行為は、一見すると簡単そうですが、実際に行動するとなると周りの目が気になってなかなか難しいものなのです。しかし、そんなときでも勇気を奮い立たせて妊婦を気遣う姿勢がマタニティマークの社会的意義を高めることに繋がるのです。

一方、マタニティマークを利用する妊婦にもそれなりの配慮が必要と思います。たとえば「自分は妊婦だから席を譲ってもらうのは当たり前」といった傲慢な態度はいけません。「席を譲られなくても平気な場合はあえてマタニティマークを出さない」といった、マタニティマークをきちんとコントロールする意識が大切と思うのです。
マタニティマークは、それを利用する側と応じる側との相互の配慮と理解によって初めて成り立つものと思われます。それゆえ、マタニティマークを笠に着た一方的な権利の主張は、かえってマタニティマークの精神を損なうと言えるのではないでしょうか。